海南島シロアリ調査行
神谷忠 弘


・・1999年10月31日から11月4日まで、私を含む4人のシロアリ技術者 は、中国の海南島に渡ってシロアリ調査を行い、いくつかのシロアリの生態に触れることができた。また、この調査には中国の著名なシロアリ分類学者の平正明 先生(広東省昆虫研究所)も同行し、いくつかの点で日中のシロアリ研究について交流することもできた。
・・この調査に参加したのは私のほかには星野伊三雄さん(東海白蟻研究所)、山 根坦さん(山根白蟻研究所)、柿原八士さん(柿原白蟻研究所)の3名であり、また薬剤メーカーの安芸誠悦さんも途中まで同行した。
・・今回の調査の目的は、海南島に生息するシロアリのなかでも日本に生息しない ノコバシロアリMicrocerotermes(中国名・鋸白 蟻)やゲンミゾガシラシロアリProrhinotermes(中 国名・原鼻白蟻)というようなシロアリのサンプル収集であり、また日本ではほとんど見ることのできないタイワンシロアリOdontotermes formosanusによる家屋被害の調査で あった。
・・10月31日の夜、海南島三亜市の鳳凰空港で、到着した私たち一行を待って いたのは私の名前を大書した紙を掲げた平正明先生(広東省昆虫研究所)だった。平先生と私たちは1998年の訪中以来手紙のやりとりをし、そうしたなかで平先生にシロアリ調査をもちかけたので ある。そして、平先生は喜んで私たちの呼びかけに応じ、私たちの到着より2日も前に海南島に渡って「お土産」を準備していてくれたのだった。


海南島はフィリピン北部と同緯度で、
冬でも30℃以上の気温である。
現在「東洋のハワイ」として売り出し中。
李さんの「災難」

・・一方、私たちが利用したのが格安の観光用のフリーツアーであることから、空 港で私たちを待っていたのは平先生だけでなく、ツアーの現地係員である李さんもいた。若くてまじめな彼は観光用のマニュアルどうりに、覚えたての日本語で 私たちを迎えようとしたのだが、いきなり横から見ず知らずの初老の中国人がでてきて、自分より先に「自分のお客」と握手をし、客を横取りするのだからた まったものではない。そのうえ外国人用であろう豪華ホテルにまでついて来て、大きな顔をして話しをし、「汚らし い」シロアリの巣や材木を、まるでスイカかなにかのように「お土産」と称してもちこむのだから、おそらく李さんはパニック状態だったのであろう。
・・とりあえずホテルのロビー横の喫茶コーナーに行き、そこで事の次第を李さん に納得してもらうことにした。
・・すなわち、私たちにとって平先生はいわば同志であり常に行動を共にするこ と、したがって平先生の部屋をこのホテルに確保すること、そしてフリーツアーの”フリー”の部分を利用してシロアリの調査を行うこと、ゴルフや夜の歓楽街 とは無縁であることを李さんに何度も話した。
・・李さんとしては当初「こんなリゾート地に来たのだからシロアリ調査というよ うな”仕事”のことばかり考えるのでなく、すこしぐらいは”骨休め”とか”楽しむ”ということも必要ではないでしょうか。」とさかんにいうのである。日本 人の観光客への固定概念が頭から離れないのだ。
・・私たちはシロアリ調査は「仕事」ではなく、私たちにとっては「レジャー」で あり、楽しいことであるだけでなく、この一行が「シロアリが好きだ」という一点で結ばれたものだということを何度も繰り返し説明した。そして深夜になって やっと理解が得られ、翌日からの行動予定が決まったのである。


懸命に段取りをする李さん(左)


調査初日、興隆に向かう
高速道路で脱穀

・・調査初日の11月1日、李さんの手配でワンボックスの車と運転手を2日間借 りきった私たちは、まず海南島西部の万寧方面に向かって高速道を走った。目的地は興隆という温泉地だ。
・・高速道路といっても車の数は極端に少なく、広々としてまっすぐに伸びてい る。看板や道路灯もなく、あたりは田園地帯が延々と続く。時速百キロ近いスピードがやけに遅く感じる。
・・驚いたことに、上下4車線のうち片側2車線が前ぶれもなく工事中であった り、近隣の農民が路上を占拠して脱穀作業をしていたりする。あるいは、水牛が寝そべっていたり、のんびりと食事している人たちもいる。だから車はときおり 反対車線に入り込み、ハザードランプを点滅させて走らなければいけないのだ。そのうえ途中でパトカー2台にはさみうちされるように止められるというハプニ ングもあった。
・・私たちの当初の計画としては、五指山や黎母嶺という山岳地域に行きたかった のだが、前夜これを平先生に話したら強く首を横に振られた。観光用の本では3時間程度で行けると踏んでいたのだが、平先生は「道が悪いので到底無理だ」と いった。なるほど高速道路でさえなにかトラブルが起きそうな気配がするのに、山岳地帯ではなおさらであろう。平先生に「写真は制限されていないか」と聞く と、それでも「問題ない」という。
・・3時間も走って高速道を万寧の手前で下り、興隆の町に入った。ここまで来る と三亜のような華やかさはないが、にぎやかである。レンガ造りの商店が並び、ときおりカラフルな温泉ホテルのような施設も見え隠れする。三輪や自転車にサ イドカーをつけたタクシーが多く、バイクや自転車に若者が二人乗りや三人乗りで走る姿が目立つ。そしてこの町でも警察の検問を受けた。そうこうするうちに 街を通り過ぎて山間部に向かうとそこに中国熱帯農業科学院熱帯香料飲料作物研究所があった。

ビリヤード台が並ぶ興隆の町並み


インターチェンジでモミを干す農民
タイワンシロアリとダイコクシロアリが近接加害

・・平 先生はこの中の樹木でシロアリを採取するつもりだという。出迎えてくれたのは平先生と同じくらいのおばさんで、この人が責任者のようだ。平先生とは旧知の 仲らしく、かなり親しげで、前もって私たちの訪問を平先生が連絡しておいてくれたようだ。
・・ここでは様々な農作物についての研究が行われているようで、広大な園内は植 物園さながらに整備され、中国の観光客も多数来ていた。
・・コーヒーも栽培されていて、平先生によれば「中国で一番うまいコーヒー」が 飲めるとのこと。さっそく私たちはそのコーヒーを頂いた。小さなカップにやや濃い感じのコーヒーが注がれた。砂糖の入ったのと入らないのと二通りのヤカン でさかんにすすめられたが、最初の一口で「うまい」といってしまった関係上、何度もおかわりをせざるを得なかった。そのうえ、「お茶もあります」というこ とで、そっちも飲んでみたところ、これまた甘いお茶だった。
・・ときおりスコールが数分ずつ降るなかで、私たちはまずダイコクシロアリ(中 国名・截頭堆砂白蟻)Cryptotermes domesticusの 被害のある部屋に案内された。今は使われていない部屋には古い机などが置かれていて、これらがダイコクシロアリの被害にあっていた。
・・海南島でもダイコクシロアリの仲間はかなり広く生息し、ダイコクシロアリの ほかにも中国名で鏟頭堆砂白蟻C. declivisや 日本でもニシインドカンザイシロアリとして知られている中国名・麻頭堆砂白蟻C. brevisなども生息しているとされているので、私たちはダイコクシロアリ以外のものを期待した。しかし、目の前の被害はダイコ クシロアリのものだったのである。
・・ところで、私たちが驚いたのはその部屋の壁面に土間からタイワンシロアリの 泥線※ が延びていることだった。つまりタイワンシロアリはレンガの建物に遠慮なくその触手を延ばしているのだ。これは日本ではほとんど見られないことである。ま た建物の外でも芝生にはタイワンシロアリの泥被がたくさんあり、ある立木では平先生が海南キノコシロアリOdontotermes hainanensisだというタイワンシロ アリの仲間がイエシロアリと接近して食害していた。また私たちを驚かせたのは、家屋の扉枠をダイコクシロアリとタイワンシロアリが複合的に加害していたこ とで、これまた日本では見られないことである。ここではタイワンシロアリがイエシロアリのように木材に被害を与えているのである。

・・私は平先生に「この農園ではタイワンシロアリの巣の位置は大体把握している のですか」と聞くと、先生は大きく手を広げて首を横に振った。薬剤の処理はかなりやっているということだが、タイワンシロアリにはあまり効果がないよう だ。
・・タイワンシロアリというのは完全な土生息性シロアリで、地下にも地上にも巣 を作る土木生息性のイエシロアリとは巣の全体像(巣系)はかなり異なる。タイワンシロアリは初期のコロニー(少腔巣の段階)では数個の腔室や菌園からなる 比較的狭くて浅い範囲に生息するが、成熟してくると(多腔巣の段階では)百以上の腔室や菌園からなる巨大なネットワークが地下に作られるようになる。こう なると非常に駆除は難しい。とくにタイワンシロアリでは副生殖虫がいない代りに、女王が多数存在し、堤防のように処理しやすい環境でさえも巣の掘り出しに よる駆除は難しいのである。
・・しかし、中国では堤防の処理を中心に比較的効率的な中国独自のベイト処理が 採用され、かなりの効果を上げているというから、ここでもいざとなったらこうした方法で処理されるものと思われる。日本でもたぶん沖縄の首里城の森のタイ ワンシロアリを、もしも駆除しなければならないとするなら、こうした方法が最適だと思われる。

※土壌性のシロア リは地表で活動する際には泥線・泥被という軟らかな遮蔽物や硬くて密閉性のある蟻道・蟻土を必ず作る。とくにタイワンシロアリの地表活動では、すべて泥線 や泥被であり、その組成からしてヤマトシロアリなどの作る蟻道とはまったく異なる。


イエシロアリと
タイワンシロアリの同時被害


ダイコクシロアリによる机の被害


建物に侵入する
タイワンシロアリの泥線


タイワンシロアリの泥被


職員住宅の扉枠の被害を調べる
ノコバシロアリの巣

・・昼近くになって農園をあとにした私たちは、興隆の街で昼食をとった後、平先 生が20年前にノコバシロアリの塚巣を見つけたという場所に行った。興隆のインターチェンジ近くの雑木林である。道路からすこし薮の中に踏み込むと、ノコ バシロアリの硬くて細い蟻道が立木についている。かなり細い樹木ばかりだが、ノコバシロアリやタイワンシロアリがこれらに蟻道や泥線・泥被を延ばしてい た。
・・平先生が突然大きな声を上げたので急いで行ってみると、そこには枯れ木に菱 形に作られたノコバシロアリの塚状巣があった。「これが中国名の菱巣鋸白蟻なのか」と思いながら、さっそくこれを切り取り、道路端で解体した。ノコバシロ アリの巣はかなり硬く、手で強くつかんでもびくともしないし、ノコギリで切っても木材のように形よく切れ、形くずれしない。丹念に解体し、なんとか女王を 出そうとみんなで探したが見つからなかった。女王が欲しくてたまらない安芸さんはがっくりきていたようだ。(しかし、巣の先端部を広州まで持ち帰ってホテ ルで丹念にばらした安芸さんは、その後世界で最もきれいなノコバシロアリの女王の写真を撮ることに成功したのだった。)

・・ホテルに帰ってさっそくこの巣とシロアリ個体をカメラやビデオに収めた。ノ コバシロアリの兵蟻はヤマトシロアリのように長くて赤い頭。大顎は左右対称で、大きな弧を描くように湾曲した刀剣状。その内縁には細かいノコギリ状の縁歯 があることからMicrocerotermesといわれるの だ。また上唇はヤマトシロアリとはまったく異なり、横に偏平し、先端には長毛がある。蟻道は比較的細く、ヤマトシロアリの蟻道に似ているが、巣と同じで非 常に硬く、樹木の表面にしっかりとくっついている。これはおそらくスコールなど激しい天候条件や他種のシロアリとの競合に適応したのだと思う。
・・ホテルでは私と星野さん、山根さんと柿原さんというように部屋割してあった が、うまい具合に二つの部屋の間にカギの掛かったドアがあったので、これを開けてもらって二つの部屋を自由に往来できるようにした。我々四人は夕食までの 間、顕微鏡をながめたり、シロアリを仕分けしたりしながら、ああでもないこうでもないと話をした。
・・この日の夜は李さんの案内で近くの海鮮料理店で夕食を取ったが、生きたカブ トガニが食材として並んでいるのには驚いた。私たちは李さんに「明日はいっしょにどうですか」と誘ってみたが、「ヘビが嫌いだ」とか「山が肌に合わない」 とかいって断られた。しかし平先生も運転手の陳さんも日本語はわからない。私が筆談を交えればなんとかコミニュケーションできるが、シロアリの専門用語以 外はかなり手間がかかる。彼が来てくれれば本当に助かるのだが、こちらも彼にはかなり無理を聞いてもらっているのでやむを得ない面もある。


ノコバシロアリの塚状巣


ノコバシロアリの巣を分解する


ノコバシロアリの
職蟻(上)と兵蟻(下)
南山寺へ

・・翌11月2日、前日と同じように朝8時半にロビーに集合し、今度はホテルか ら東の方に足を伸ばし、南山寺を目指した。
・・20分も走ったところで平先生は道端に車を止めさせた。みると赤土のむき出 しになった土手がある。そしてそこには私や山根さんには見覚えのある景色があった。つまり、タイワンシロアリの空腔(菌床が消失した空の菌園)である。昨 年西表島で掘ったとおりの形であり、内部の滑らかさも同じである。そしてその土手の上には切り株があって、案の定タイワンシロアリがいた。日本と同じ種 だ。
・・また、オオキノコシロアリMacrotermesも見つかった。中国でのオオキノコシロアリは、キ バネオオキノコシロアリM. barneyiが一般的で、タイ ワンシロアリとともに堤防に穴を開ける"堤防シロアリ"として駆除の対象となっているが、これはすでに前回の訪中時に、私たち(私と山根さん)は広州の華 南植物園で採取している。
・・また、中国でもっとも特徴的なものは雲南省に生息するツカオオキノコシロア リM. annandaleiで、墳墓形の塚を作るという。ま だ海南島からは記録されてはいないのはわかっていたが、私はこれを一度見てみたかったので、「万が一」を期待して平先生に聞いてみた。しかし、種名は特定 できないが、やはりツカオオキノコシロアリではないという。

・・1時間も走って南山寺に到着した。古臭くて陰気な寺院を想像していた私たち は驚いた。駐車場のかなたには極彩色の巨大な門がそびえ、各所に売店のある広大な庭園が広がり、中国風の音曲が遠くから聞こえてくる。そして本堂に行くに はここから専用のカートに乗るというのだ。なんという広さだ。
・・3両連結のカートは経文が刻まれた巨大な石壁のある通路を抜け、手入れの行 き届いた庭園を次々と見せながら、本堂に向かう。やがてデコレーションケーキのような純白の基壇の上に建てられた赤い建物の横を通過した。さきほどから聞 こえていた音曲はここから聞こえていたのである。
・・そして、正面の垂れ幕には華麗な音曲とは対称的に日本人だとつい世俗を思い 出すような名前が書かれていた。その名も国宝「金玉観世音」。純金の観音像がまつられていて、ここだけ別途に入場料が必要だ。帰りに立ち寄ったが、平先生 がわざわざ記念写真を所望するほど大変なものであるらしい。
・・カートはいよいよ本堂に近づいた。甲高い声でマイク説明をする案内の若い女 性に平先生が何やらつぶやいた。「日本人にわかるようにやってくれ」といったようだが、女性は手を振って笑っただけで、また甲高い声で説明をつつけた。
・・本堂は海を見下ろす小高い斜面にあって、屋根の稜線にはことごとくイルミ ネーションの設備がある。だから夜に海から見上げればさぞきれいであろう。現在本堂内部を一部修理していて、上海から来ているという初老の技師は平先生と 言葉を交わすなり私たちに木片を見せて話し始めた。それによるとダイコクシロアリの被害が多く、漆をしっかり塗って対処しているようだ。
・・本堂の階段を下った広い庭の先端は海に面している。どこかで見た景色だと 思ったら、昔見たことのある中国映画『紅色娘子軍(邦題・赤軍女性中隊)』を思い出した。海南島を舞台にしたこの映画で、悪の親玉の南覇天が娘子軍に追い 詰められて撃たれ、最後にここから海に落ちたところで一斉射撃されて大団円となるあの場面である。
・・そんなことを考えながら本堂を出た私たちはしばらく庭園の樹木をひとつひと つ丹念に調べた。ここにはイエシロアリ、タイワンシロアリ、ダイコクシロアリ、ノコバシロアリ、そしてオオキノコシロアリもいた。平先生はゲンミゾガシラ シロアリを探していたがついに見つからなかった。

・・ところで平先生が昼食のことを何度もいうのでよく聞いてみると、どうやらこ このレストランで食事するべきだといっている。シロアリを探しながらしばらく行くと、広い庭に白いテーブルを並べたファーストフード風のレストランが見え てきた。ここかと思ったら平先生はもっと先を指差し、お寺にしては立派すぎるようなレストランに案内した。
・・かなり広くて高級そうなレストランだ。給仕がメニューを持ってきたが、メ ニューがよくわからないので運転手の陳さんにすべて任せた。ただ平先生が椰子ジュースを注文したので、私たちも真似して注文した。ビールは日本の発泡酒の ようなやや薄口のものが多く、私は好きだが他の人はあまり口に合わないようだ。
・・平先生によるとここの料理は肉や魚は一切使わずに肉や魚の料理のように調理 するものらしい。山根さんが「それは日本の普茶料理と同じだ」という。出てきた料理は確かにおもしろい。見た目はエビだが実はコンニャク、見た目はハムだ が実は豆の加工品、大皿の魚も湯葉でくるんだ野菜だった。
・・平先生が昼食にこだわったのは、つまりこれを私たちに食べさせたかったので ある。


道端でタイワンシロアリなどを採取


南山寺の前庭


カートから見た金玉観音の建物


純金の金玉観世音像


南山寺本堂


精進料理を「素食」というらしい
天涯海角の”ペイ・イー”

・・午後からは有名な観光地 である天涯海角に行った。私は当初写真での想像から、「こんな樹木のない砂地にシロアリがいるのかなあ」と思っていた。しかし平先生は海南島で記録された シロアリの新種の1/3を発表した当の本人であり、天涯ノコバシロアリMicrocerotermes remotusや海角ノコバシロアリM. marilimbusなどこの地からもいくつかのシロアリを記載しているのだ。
・・だから先 生について行けばシロアリがいると思ってどんどん行くのだが、とにかく入口から海岸までが遠い。運転手の陳さんが来ないのも納得できた。
・・土産物屋 などが立ち並ぶなかをぞろぞろと歩いていくと、辻つじには物売りのおばちゃんがたくさん立っていて、アクセサリー類を両手にかざしてはしつこく付きまとっ てくる。なかには日本語で「アリガトウ、アリガトウ」といきなり感謝しながら近づいてくるものもいる。外国語を覚える際には、なぜか感謝の言葉から覚えて しまうのは世界共通であるらしい。ともかく、あまりへたな断り方をすると悪態をつかれる。ここでは「不要(プゥヤオ)」という中国語がなくてはならないも のとなる。

・・やっとのことで海岸に出 ると、大きくて丸みのある岩が砂浜に屹立し、陸側には椰子などの樹木がかなり多く生えている。
・・中国では 海を見たことのない人々がたくさんいて、李さんの話しでは中国人は一生に一度は必ずここを訪れるという。「北は万里の長城を攬(と)り、南は天涯海角に游 ぶ」というほどの場所である。そして果てしない海を見、天涯とか海角と朱書きされた巨岩を見ては、まるで地の果てに来たかのような感銘を受けるのであり、 普通の観光客はだから波打ち際を海を見ながら歩くのである。ところが私たちは樹木に沿って歩き、椰子の根元や切り株のシロアリを調べながら歩いたのであ る。そしてここにもイエシロアリやノコバシロアリなどがいた。
・・私たちが 樹木をほじっていると近くの人が不思議そうに近寄ってくる。そのたびに平先生がシロアリだと説明すると、興味深そうにうなずく。平先生はシロアリを「パ イ・イー」というより「ペイ・イー」とややなまって発音していた。私もそれに倣って「パ」をやや「ペ」に近づけて発音したら現地の人には良く分かったよう だ。海南島では少数民族も多く、広東省の人でも場合によっては言葉が通じないという。しかし、子どもたちはどこでも好奇心が強くすぐに集まってくる。が、 彼らの興味はシロアリにあるのではなく、「シロアリを掘る日本人」にあることはすぐに分かる。遠くでゴソゴソと「○×△日本人∑⊿」といっているのが聞こ えるのだ。


トイレの前でしつこい物売りに出会う



カメラを向けると逃げ出す子ども
わき目もふらずにシロアリを掘る日本人


「天涯」と彫られた岩の奥には
「海角」の岩もある
「赤いイエシロアリ」は人民政府にあり

・・天涯海角で長時間砂地を歩いたせいか、かなりつかれてきた私たちだが、最後 にもう一か所、平先生おすすめの場所があるというので立ち寄った。それは私たちのホテルに近い三亜の街はずれにある鹿回頭という半島だ。
・・ここには観光の案内書にも載っている鹿回頭公園という美しい(行ってないの で推測)公園もある。曲がりくねった道を登り、右手眼下に三亜市街が見え隠れするところに鹿回頭公園入口があった。しかし、平先生はそこをすり抜けてさら に奥に進み、「三亜市人民政府」の看板が掛かった門をくぐったところで車を止めさせた。ここにはレンガ造りの人民政府の古い職員住宅や官舎が点在し、全体 に太い樹木がたくさん生い茂っている。私たちの車がフォード社製の新品のワゴン車なのでやたらと目立つ。が、誰も出てこないし、気にとめる人もいない。

・・雨がぱらつく中私たちは最後の気力を振り絞って平先生とともに樹木をつつい て回った。そして平先生の知り合いが住む職員住宅にたどり着いたところで、その建物につながる木柵に加害しているイエシロアリを発見した。木柵にはかなり しっかりと蟻道がつけられ、虫もいた。
・・こうなると、うずうずしてくるのが日本屈指のイエシロアリ技術者の柿原さん だ。この巣はどこにあるのかということで、さっそく柿原さんは山根さんと付近を探し回った。私が木柵のイエシロアリの写真をやっと撮り終えた時には、すで に彼らが土を掘ったり、木をたたいたりする音が聞こえてきた。おそらく何らかの見当はついたのかもしれないが、残念ながら本巣は見つからなかった。しか し、かなりしっかりしたノコバシロアリの巣が見つかったので、さっそくその職員住宅の横の土間で巣の解体を行った。
・・わき目もふらずに解体に熱中しているところへ、そこの家の奥さんが自転車で 帰って来てびっくりした様子。なにしろわけのわからない日本人が家の前や横でなにか汚いものをばらしているのだから。平先生がいろいろ説明すると、ほっと した様子で家の中に入って行った。
・・そうこうしているうちについにノコバシロアリの女王が見つかった。長さ 2cm程度で薄茶色の女王は、ただちにルーペで翅芽を観察し、創始の女王(第一次生殖虫)であることが確認された。しかし王は見つからなかった。平先生に 聞いてもこのシロアリの有翅虫の群飛時期などまだよくわかっていないようである。
・・またこれとは別に「赤いイエシロアリ」を見つけた。なるほど一見すると形と してはイエシロアリそっくりだ。しかし色が赤いのが特徴。
・・このシロアリじつはイエシロアリの仲間ではなく、ゲンミゾガシラシロアリと いうシロアリで、額腺から前方に溝があり、イエシロアリやヤマトシロアリの属するミゾガシラシロアリ科のミゾガシラという名前のもとになったシロアリなの である。平先生がこの日一番の目標としていたのがこのシロアリであり、そのために私たちをここに案内したのである。
・・これまでに中国のゲンミゾガシラシロアリは、中国名・台湾原鼻白蟻Prorhinotermes japonicusと同・西沙原鼻白蟻Prorhinotermes xishaensisの2種が記録されて いて、前胸背板が中胸背板より幅広いのが前者で、その逆が後者だという。この日採取したものがどちらの種であるかは、まだサンプルの整理が終わってないの でなんともいえない。



鹿回頭半島から見た三亜市街


巣を 分解する


ノコバシロアリの創始の女王


「赤いイエシロアリ」と思った
ゲンミゾガシラシロアリの兵蟻
海南島で見つけた新しい日本のシロアリ

・・この日も前日同様に明る いうちにホテルに帰ってシロアリの分別と撮影を行った。たくさんの「成果」を部屋に持ち込むわけだから、たちまち部屋のごみ箱は腐った木屑などでいっぱい になる。ホテルのビニール袋をたくさんもらって、解体した巣の残骸をつめ、星野さんに頼んで夜陰に紛れて捨ててきた。これだけは取っておこうと思った三亜 市内の観光地図もいつのまにか巣の包装紙になって破れていた。メイドさんにもいろいろと気をつかったが、その点では外国慣れしている星野さんがうまくやっ てくれたので助かった。
・・私たちは これまでに日本で撮影したシロアリの写真や映像を平先生に見てもらおうと、今回いろいろな資料を持参してきた。そしてこの日の夜が海南島最後の夜だから、 私たちの部屋に先生を呼んで交流会をしようということにした。
・・星野さん は部屋のテレビとビデオがつなげるかどうか試すために一部の映像をテレビに映してみた。うまく映る。たまたま映っていたのは、数年前に私たちが西表島で採 取したムシャシロアリSinocapritermes mushaeの 映像で、兵蟻が大顎を弾いて飛び跳ねるところを撮影したものであった。
・・ところ が、よくみると何か変だ。ムシャシロアリなら大顎が不対称でなければならないのにほとんど左右対称で、額部には三角の角まであるではないか。「これはム シャシロアリとは違う」と私は星野さんにいった。星野さんもそういえばそうだということで山根さんや柿原さんにも見せ、山根さんがもってきたムシャシロア リの資料と突き合わせてみた。どうみてもムシャシロアリではない。みんなの意見が一致した。そしてこれが中国で鉗白蟻といわれるTermes属のシロアリであると私たちは確信した。

・・夕食に別のホテルのレス トランで四川料理を味わった後、平先生が私たちの部屋にやって来たので、この映像を見せた。
・・先生は当 初Dicuspiditermes(中国名・突歪白蟻)といっ ていたが、私が額部の突起が鋭く尖っていることと大顎が左右対称であることを説明して、さらに詳しく画像を止めてみてもらったところ、先生も「これはたし かにTermes属(中国名・鉗白蟻)である」と認められたの である。
・・こうなる と大変だ。日本のシロアリの種が、いや属が一つ増えることになるのだ。今後どうするかは後で検討することにして、私たちはとりあえずこのシロアリをトビツ ノシロアリ(つまり跳び角シロアリ)と呼ぶことにした。


シロアリ以外の話題はあまりない面々
シロアリの話だけは延々と続く



ビデオに映っていた
トビツノシロアリ兵蟻の側面



こんなものも海鮮料理の食材
平先生に感謝

・・こうして海南島では最初の目的をほぼ達成し、きわめて意義ある調査旅行と なった。翌日私たちは海南島を離れて広州に行き、ここで一泊するわけで、私たちは広州の名所をいくつか回りながら手当たり次第に樹木を見て歩いた。飲茶で 有名な泮渓酒家でも中庭の樹木にイエシロアリを見つけ、光孝寺でもイエシロアリを探した。
・・一方広州のホテルまで同行した平先生は、午後には自宅に帰ってシロアリの標 本など私たちへのお土産を用意してくれた。そして夜8時もすぎた頃、平先生は奥さんの徐月莉さんとお孫さんを伴って私たちの部屋を訪れ、茶器をたくさんもって 来てくれたので、私たちみんなで分けた。
・・私はかつて『中国におけるシロアリの分類および生物学』という本を翻訳した が、この時点では平先生の顔すら知らなかった。しかし、中国のシロアリの学名の最後に書かれる命名者に平先生の名前が多いのに気づき、あちこちでシロアリ をほじっているらしい平先生という人を知った。そして1998年の訪中時に初対面を果たし、その時徐xuという人が彼の奥さんであることも知ったのである。
・・そういえば、命名者に両者連名のシロアリも相当多い。私のパソコンでは奥さ んの名前を単語登録しなければならないほど連名のシロアリは多いのだ。そして、それだけ各地で二人してシロアリをほじっていれば結婚するのも無理はないな あと当時は納得したものだった。
・・また平先生が重そうに持って来てくれたのが1984年から1993年までの 論文がすべて掲載された『中国シロアリ学論文選』上中下全3巻である。上巻一冊だけでもたいへん重くて厚い本で、私はまるで三蔵法師になったような気持ち である。
・・『中国におけるシロアリの分類および生物学』を翻訳した時には数年かかっ た。その計算でいくと、十年以上の年月が翻訳に必要である。だからとりあえずは部分的翻訳でみんなには我慢してもらおうと思っている。
・・さらに先生がかつて採取したSchedorhinotermesDicuspiditermesTermesの3種のサンプルもいただき、こうして部屋中お土産だらけに なった。
・・こうしてたくさんのお土産をいただいたが、平先生のほうも私たちのもってき たシロアリの資料、携帯顕微鏡、そして私たちのシロアリ掘りの道具をことごとく持って行ったのだから、まあトントンということであろう。
・・とくに柿原さんの採取器具をとくに気に入ったらしく、天涯海角あたりから 「ちょっと貸して」といったきりなかなか返してくれず、鹿回頭あたりでは完全に自分の道具として使い、最終的には「これ、もらえないか」といいだしたので ある。
・・柿原さんはだから最後には愛用の引き回しノコまでつけて平先生にプレゼント したのである。また私も腰につけていた道具を無心されたが、私の道具は百円ショップで買った小型の細身スコップだったので「実害」はなかった。
・・まあとにかく今回の調査旅行は平先生が同行してくれたお陰で首尾よく目的が 達成され、日本のシロアリが一つ増えるというおまけまでついたのである。おそらくこれが私たちだけだったなら様々なトラブルにあったかもしれない。専門用 語以外はほとんど通用しない私の中国語をなんとか理解して頂いた平先生には心から感謝する次第である。

2000/1

木を見るとついほじってしまう一行
広州市内では行く先々でシロアリを探した
(広州・泮渓酒家)


孝光寺でもシロアリをほじる


孝光寺のカラフルな仁王


自由市場で見つけた養殖サソリ


陳氏書院の屋根裏の木組み